2020年9月28日月曜日

西アフリカの資源輸出大国ガーナを訪れて

流通マーケティング学科の丸谷です。39回目の執筆です。私はグローバル・マーケティング論(簡単にいうと海外でどのようにマーケティングを行なっていくのか)を専門分野にしているので、海外調査に頻繁に訪問します。このブログでもこれまでも海外調査で訪問した国について取り上げました。今回は20202月から3月にかけて訪れたガーナについて取り上げます(622日プログでも若干ふれています)。

 皆さんガーナといえばどのようなイメージでしょうか?多くの方がイメージするのはチョコレートではないでしょうか?ロッテのガーナチョコレートは非常に有名であり、私も実際最初のイメージはそうでした。実際ガーナにとってチョコレートの原材料であるカカオの重要性は高く、詳細は、ロッテHPhttps://www.lotte.co.jp/products/brand/ghana/kodawari/material/)に譲りますが、ガーナではチョコレートの主な原材料である高品質のカカオが取れることは事実です。

 

   ロッテガーナチョコレート

 1960年代にはガーナのカカオ生産は世界最大でした。現在でもGDPの約2割、雇用の約半数を占める農業において主要作物ではありますが、1957年の独立当初、資金不足であった政府はカカオ産業を統括し、生産者からの買い上げ価格を低く抑えすぎていたために、カカオ豆密輸出が横行し、ガーナ産カカオ豆の生産量減少を招いてしまいました。近年になり構造調整によって民営化をすることによって回復しつつある状況ですが、かつての繁栄はありません。                                      

 現在ガーナの輸出を現在支えるのは鉱物と原油生産である。最大の輸出品目は南アフリカに次ぐ第2位の金です。ガーナの金鉱は南アの金鉱に比べて露天掘りであることもあり採掘掘コストが安価であり国際競争力が強力です。今回現地調査で訪れた内陸のクマシ近くの都市オブアシには世界第9の金山があります。金の交易を中心に内陸で栄えたアシャンティ王国は19世紀末から20世紀初頭の数次にわたり当時植民地化を進めていたイギリスと激戦を繰り広げました。そして、1901年にイギリスの植民地となった際にも 黄金海外を意味する 英領ゴールドコーストという名前となりました。


 


原油生産は2007年に発見されたギニア湾の油田が2010年から本格的に商業生産が開始され、Jubilee 油田、T.E.N.Tweneboa,Enyenra and Ntomm)油田に加えて、20185月にはSankofa Gye Nyame 油田の採掘が開始され、現在3つの油田で採掘がなされており、石油依存度が高まっています。

んな西アフリカの資源輸出大国ガーナですが、かつて金と並んで輸出していたのが奴隷でした。アシャンティ王国は、自分たちと他の部族の黒人を捕まえて、白人たちに売り利益をあげていたのです。今回白人を海外へ送り出す拠点となった場所を訪れることができました。

奴隷貿易の拠点となった場所は、ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群として世界遺産となっています。今回訪れたのはケープコースト城とエルミナ城でした。

ケープコースト城は当初は金や木材の輸出拠点でしたが、18世紀頃には英国がアシャンティ王国から買い入れた奴隷を世界に送り出す拠点となりました。奴隷として待機させられていた黒人たちがいた牢屋は劣悪であるのに対して、城砦を管理する英国人側の居住場所は風通しもよくその眺めも素晴らしく、コントラスは衝撃でした。

奴隷として世界へ送り出す城砦からの出口
風通しのよい居住場所

              活気のある城砦前の現状

エルミナ城も奴隷拠点となりましたが、こちらは大航海時代に繁栄を誇ったポルトガルの拠点となった場所で、サハラ砂漠より南のアフリカ(サブサハラアフリカという呼ぶ)で最古の欧州建築で、欧州による最初のギニア湾の拠点として有名です。このブログでもブラジルに関して取り上げた際に、ポルトガルの三角貿易については取り上げていますが、三角貿易について改めて考えさせられました。

               エルミナ城の外観

コロナ禍での渡航制限が厳しくなる直前でいくつかアポイントがキャンセルになることもありましたが、アフリカとラテンアメリカとの関係を振り返る意味でも貴重な機会となりました。西アフリカは遠いですが、コロナ禍が終わり再び自由な往来ができる日には機会があればぜひ訪れて欲しい場所です。

               (文責 流通マーケティング学科教授 丸谷雄一郎)