今回は、三陸海岸を訪問して感じたことについて記したいと思います。
所属する学会の関係で、10月下旬に2泊3日の日程で訪問しました。
東京から新幹線で盛岡に行き、そこからはレンタカーで周りました。
盛岡→北山崎→田野畑→宮古→田老→大槌→釜石→大船渡→
陸前高田→気仙沼→南三陸→石巻→仙台と、大変な距離を移動しましたが、
感慨深い出張となりました。
整地・工事・建設中のところも多かったのですが、
更地のまま、あるいは爪痕の残るところも多く、
全体的な感想としては、「まだまだ」というよりも、
「先はとても長い」という印象です。
今回は、漁協の方、企業の方、商店街の方に
津波で、ご家族、ご自宅、工場や船等を失いながらも、
復興に尽力されている、
ご努力されている方々のお話をお伺いし、
微力ですが、今、私ができることをする、
そして記憶を風化させないことを心掛けたいと思います。
東京経済大学でも、
「東日本復興支援職員有志の会」の方が定期的に「学生災害ボランティア派遣」を実施してくださっています。
今年度もすでに、5・6・8・9月と4回派遣(約160名)されています。
http://www.tku.ac.jp/renkei/area-center/volunteer/
また、災害ボランティアサークルも活動していますし、
地元の方とボランティア活動をしている学生もいます。http://www.tku.ac.jp/news/013215.html
http://www.tku.ac.jp/news/013514.html
今回は、岩手と宮城の一部地域を駆け足で周っただけですが、
それでも多くの気づきがありました。
メディア情報だけではわからない生々しく重い話もお伺いしました。
各地域の事情と合致しない支援策の一律的な運用、
縦割り行政の弊害、非効率な運用と無駄遣い等の課題も山積していますが、
3年半が経過した今、一層の精神的な支援が必要とされているように感じました。
今も、多くの大学生・院生、研究者の方が全国から集まり、
定期的かつ恒常的に彼の地で活動されています。
また、定期的に訪問し、商店街の復興支援としてインターネット販売の仕組みや
イベントを手掛けたりする大学やゼミもあるとのことでした。
ゼミ生の何人かは、上記ボランティア派遣や地元での活動に参加していますので、
私も、ゼミあるいは関連領域のゼミとの連携による支援について、
今後検討したいと考えています。