あけましておめでとうございます。経営学部講師の岩田です。
なかなか教員の研究活動や,普段そこで感じていることは学生さんからは見えづらいかもしれません。旧年中の振り返りも兼ねて,普段の研究生活をチラ見せしてみます。
「査読」
研究と一言で表現しても,スタイルは人それぞれです(例:論文執筆重視,社会実装重視)。とはいえ,学部を卒業して研究を突き詰める人たちが通う大学院では,まず研究の手法や考え方を学ぶために「論文を書く」というところからスタートすることが一般的です。
論文執筆の最終的な出口は学術的な雑誌への掲載というのが一般的ですが,これにはしばしば「査読」というプロセスがあります。
査読というのは,近い専門領域の研究者が他の研究者の書いた論文を審査して,「この論文はこの雑誌に掲載してもよいか?」というのを評価するシステムです。
その厳正な審査を突破することで,科学的な批判に一定程度耐えた成果物として学術誌に論文を掲載することができます。
この「査読」というのが審査する側もされる側も非常に大変nやりがいのあるプロセスで,ある研究を始めてから査読付学術誌への掲載に至るまでのほとんどの時間はこの「査読」への対応に投入されることになります。
ゼミでの探求は教員もしている「研究活動」そのもの
大学の先生というと,沢山のことを知っている専門家,あるいは授業で「正しい知識」を教える存在と認知されているかもしれません。
東経大では少人数のゼミで研究活動をし,教員は指導的な役割を果たしています。僕も,ゼミ生に毎週「こういう分析の仕方もありますよ」などとアドバイスすることはよくあります。
ですが,自分の研究活動となると,姿は少し変わります。査読では「ここの議論には問題がある」「分析方法に改善の余地がある」など,専門の同業者からの手厳しいツッコミを沢山受けます。
国際的に著名な学術誌ともなると採択は極めてハードルが高く,審査継続の通知よりもrejection(不採択)の通知を受け取ることのほうが圧倒的に多いです。
そうした学術誌は,「重要だけど皆が分かっていないことを,厳密に解明・分析する」ことを求めてきます。シンプルに難しいですよね。
2025年はこれまで進めてきた研究のいくつかが実った年でした。それと同時に,「We regret to inform you ...(訳:残念なお知らせですが…)」から始まるメールも10件近く受け取った記憶があります。
そういった意味では,ゼミで普段教えている教員も,「何でも知ってる先生」というよりは,「研究活動についてちょっと前を走っている先輩」と表現するほうがいいのかもしれません。
(注)今の僕の所感です。20年後くらいには違うこと言ってるかもしれません。色々な先生の話を聞いてみてください。
いざ探求を進めてみると,教科書で読んだことと実際の現場にズレを感じたり,そもそも「教科書に書けるほど厳密に実証された証拠が見当たらない」こともあったりします。ゼミ生からの成果報告を聞いて「こんな感じなんだな」と知識がアップデートされたことも沢山あります。
研究は,知識を覚えるというよりも,「まだ誰もはっきりと分かっていない問い」に向き合い続けることが求められます。ゆえに,査読というプロセスは(時に掲載を諦めたくなるほど)大変です。しかし同時に,他者からの批判を通じて自分の考えが少しずつ磨かれてまとまっていく,創造的な時間でもあります。
ゼミでの探求も,あるいは実務家として未知の経営状況に向き合うことも,本質的にはこうした研究活動と地続きに思えます。もし将来,アカデミックな道に進むことがなくても,分からないものに耐えながら考え続ける経験や,それと格闘するための科学的思考の訓練は,きっとどこかで役に立つと思います。
ぜひ,一緒にゼミで研究しましょう!(宣伝)
(文責:岩田聖徳)