経営組織論担当の山口です。今回は、私が研究している新規事業創造の話をしたいと思います。
最近、東経大でも「起業したい」という学生が増えてきました。しかし、起業したいという人に「どんなビジネスをしたいの?」と聞くと、「それはまだ決まっていません」といわれることも多いのです。
では、どんなビジネスをするかをどうやって決めればよいのでしょうか?
ここで問題になるのは、「事業の新規性」です。つまり、誰もがすぐ思いつくようなビジネスは、事業計画自体は立てやすいのですが、既にどこかの企業が手掛けていることが多いため、競争に巻き込まれやすく、利益が上がる状態を作るのが難しくなります。
他方で、まだ誰もやったことのない新規性の高いビジネス(イノベーションなど)は、競争もないので利益は獲得しやすいかもしれませんが、誰に何をどのように売ればよいかを0から考えなければなりませんし、実際にどれだけ売れるかの見通しも立たないので、事業計画が立てづらくなります。
このような問題の解決策は、経営学のアントレプレナーシップ研究(起業家研究)やイノベーション研究という領域で検討されてきました。その中で最近注目されているのが、ヴァージニア大学ダーデンスクールのサラスバシー教授による「エフェクチュエーション」の研究です。これは、「新市場創造のような、何から手を付けてよいかわからない不確実性の高いビジネスをいくつも実現してきた起業家は、どのような思考パターンで起業しているのか?」を明らかにしようとしたものです。
そこで今回は、エフェクチュエーションの研究が、「起業したいけれども、何をしたいかわからない。何から始めていいかもわからない」という人たちに対して、どのような示唆を与えてくれるかを、みていきたいと思います。
1.エフェクチュエーションとは何か?
従来のアントレプレナーシップ研究では、「全く新しい事業や市場のようなイノベーションを生み出せるのは、特別な資質を持っている人や、特別な機会に恵まれた人だ」と考えられてきました。サラスバシー教授は、これに対して「本当か?」と疑問を持ち、アメリカで何社も起業している起業家27人の調査を通じて、彼らの起業の意思決定には共通のパターンがあることを発見しました。
つまり、将棋に定跡があるように、起業のための思考にも定跡があることを明らかにしたのです。この起業の定跡のことを、サラスバシーは「エフェクチュエーション」と名付け、この定跡を学べば、誰でも新しい市場を創造できると主張しました。
エフェクチュエーションの特徴は「高い不確実性に対して予測ではなくコントロールによって対処する」点にあります。
簡単に言えば、これまでにないイノベーティブな製品・サービスを売ろうとしたときに、それを誰が買ってどのように使ってくれるかを事前に正しく予測するのは不可能です。そこで、起業家たちは、買ってくれそうな人を予測するのではなく、むしろ今できること(=自分がコントロールできること)や今協力を頼める人との関係を積み重ねることを通じて徐々に顧客を増やしていき、その結果、当初予想もしなかったような新しい市場を作りだしている、というわけです。
エフェクチュエーションの主な内容は、以下の5つです。
①手中の鳥の原則:目的に合わせて手段を選ぶのではなく、今とれる手段に合わせて目的を作る
②許容可能な損失の原則:利益最大化の方法がわからないときは、損失が許容範囲におさまる行動を選ぶ
③レモネードの原則:予期せぬ事態が起きたら、それをうまく活用してチャンスにする
④クレイジーキルトの原則:関与してくれる人を増やし、それらをつなぎ合わせてビジネスを作る
⑤飛行機のパイロットの原則:将来を予測できないときも、その状況でできることを積み重ねて望ましい状態を作る
2.エフェクチュエーションによる新市場創造の事例
エフェクチュエーションの5原則が起業とどうかかわるのか、イメージしづらいと思いますので、ここでは、実際に新市場を創造して起業した事例を通じて、5原則が起業プロセスでどう使われているかを説明しましょう。
取り上げるのは、ピアノメーカーの調律師から転身して起業し、新しい市場を創造した、ピアノクリニックヨコヤマの横山彼得さんの事例です。
(以下の事例は、Youtubeの横山さんのインタビュー動画「良い音が音楽好きな子供を育む~調律師・横山彼得~」に基づいています。起業に興味がある人にはこちらの動画もおすすめなので、是非検索してみて下さい。)
(1)横山さんがピアノショップを開業した経緯(レモネードの原則・飛行機のパイロットの原則・許容可能な損失の原則・クレイジーキルトの原則)
横山彼得さんは、ピアノメーカーに勤務する調律師でした。メーカーの調律師は、1日に何件ものお客さんをまわってピアノの調律を行います。しかし、「もっと時間をかけて1台1台をしっかりメンテナンスしたい」と考えた横山さんは、27歳で独立しました。
ところが、ピアノのメンテナンスをしっかり行うには、高度な調律技術が必要です。そこで横山さんは、当時はお客さんも少なかったため、一流の調律師の仕事方法を学ぼうとコンサート会場の楽屋口などに張り込み、ホールのピアノの調律に来た調律師さんに「仕事のやり方を見せてください」とお願いしたりして、調律技術を高めていきました。
そうして技術を高めていくうちに、横山さんの顧客にもピアノ教室の先生が増えていき、その先生たちから「生徒さんのピアノがいい音になるように調律してほしい」と頼まれるようになりました。そこで生徒さんの家に行ってみたところ、「なんでこんなピアノを買ってしまったんだろう」と思うような、非常に良くない状態のピアノに立て続けに出会うことになりました。
「調律だけではいい音にするのが難しいピアノを使っている人が多い」という予期せぬ事態に直面した横山さんでしたが、こうした調律の限界にめげず、むしろ「調律のもっと前の段階で、良い音のするピアノを提供できないか」と考え、神奈川でピアノショップを開業することにしました(→レモネードの原則・飛行機のパイロットの原則)。
さらに「ショップを出すからには、いいものを置きたい」と、ヨーロッパのピアノをメインに仕入れることにしました。ところが、当時の横山さんにはそれを仕入れるだけの財力がありません。そこで、色々なピアノ輸入元にかけあって、一定期間ピアノを貸し出してもらって売り出すことにしました(→許容可能な損失の原則・クレイジーキルトの原則)。
(2)ピアノ教室を構想した経緯(手中の鳥の原則)
こうしてピアノショップを開業した横山さんでしたが、しばらくたつと、また新たな問題が出てきました。せっかくピアノを購入してピアノを習い始めたのに、数年ですぐやめてしまう子供たちにたくさん出会うことになったのです。「どうしてすぐにやめてしまうのか?せっかく習い始めたなら、一生涯楽しく続けてほしい」と考えた横山さんは、調律の仕事をする中で、生徒さんと先生を注意深くみていくことにしました。
まず、生徒さんについては、調律に行くお客さんの中で、すぐピアノをやめてしまう人たちと長く続いている人たちには、どのような違いがあるのかをみるようにしました。その結果、長く続いている人には「小学校低学年からピアノを始めて、5~6年生、もしくは中学の早い段階で、ショパンやベートーヴェンなどの名曲を弾けるようになっている」という共通点があることがわかりました。
次に、ピアノの先生については、ピアノ教室の発表会の調律に行く中で、小さい子供の生徒しかいない先生(つまり、生徒が大きくなるまで習い続けていない先生)と、子供から大学生・大人まで幅広い生徒がいる先生がいることに気づき、これらの先生の間の違いを調べました。その結果、小さい子供の生徒しかいない先生は、先生自身があまりピアノを弾いていない傾向があることがわかりました。
このようなことがわかるにつれ、横山さんは「よくピアノを弾いていて、音楽的な良い音で弾ける先生を集めて、子供たちが長く続けられるピアノ教室をつくろう」と考えるようになりました(→手中の鳥の原則)。
(3)ピアノ教室を開業した経緯(許容可能な損失の原則)
そこで、まずはピアノショップの一角に防音室を作り、ヨーロッパ製のアップライトピアノを1台置き、ピアノ教室用の場所を確保しました(→許容可能な損失の原則)。
それから、ピアノの先生を募集する広告を出しました。1回目で50人ほどの応募者があり、履歴書で30人に絞った後、面接とピアノを実際に弾いてもらう試験を行いました。その際には、信頼できるピアノの先生に立ち会ってもらい、4人を採用しました。
最初は生徒がなかなか上達しないなどの問題もありましたが、色々試行錯誤するうちに、1年目20人、2年目40人、3年目60人・・・と生徒が増えていき、店の片隅の一部屋ではレッスンが回らなくなったので、マンションの一室を借りてレッスン室を増やしました。25年たった現在では、ピアノ教室のための建物を借りて5つのレッスン室を設け、それぞれに異なるヨーロッパ製ピアノをおくようにしています。生徒も、神奈川・東京・埼玉・千葉はもとより、福島、滋賀県などの遠方からも来るようになり、全部で100人くらいの生徒が集まっているそうです。
(4)事例のまとめ
この事例において、調律師だった横山さんは、ピアノの調律(メンテナンス)と、ヨーロッパのピアノを扱うピアノショップ、ピアノ教室を組み合わせることで、「生涯音楽を愛する子供が育っていくのをサポートする総合ピアノサービス」の新たな市場を作り出しました。
ここでのポイントは、横山さんが最初から、「ピアノの調律とピアノショップ、ピアノ教室を組み合わせて、生涯音楽を愛する子供を育てるサービスをつくれば、儲かるだろう」と予測して、これらのビジネスを始めたわけではないということです。調律をする中での様々な顧客との出会いが、横山さんの「生涯音楽を愛する子供を育てるにはどうすればよいのか?」という問題意識を生み出し、進化させ、最終的にこのような独自の市場を作り上げたのです。
3.起業したい人が大学で経営学を学ぶ意義とは?
さて、この事例を読んで皆さんはどのような感想を持ったでしょうか?「自分にできることを積み重ねることで、意外と手堅く起業できるんだな」、「問題意識をもって日々の仕事をすることが、起業につながることもあるんだな」と考えた人もいるかもしれませんし、中には「あれ?起業は、別に経営学を知らない調律師さんでもできるの?じゃあ、大学の経営学部で学ぶ意味は何だろう?」と思った人もいるかもしれません。
確かに、起業自体は、特に資格が必要なわけでもないので、誰でもできます。しかし、起業を「うまく」行うためには、それなりの知識・スキルが必要です。これは、エフェクチュエーションの研究で、何社も起業している熟達した起業家は、将棋のプロが勝つための定跡を習得しているのと同様、起業の定跡を身につけている、と指摘されている通りです。
さらに、エフェクチュエーションの理論は、起業したいが何をすればよいかわからない、という人に対し、「儲かる機会」は「探す」ものではなく、自分の強みを活かし、今できることから行動を始めることで「作り出す」ものだ、という示唆を与えてくれます。これは常識的に考えていたのでは決して出てこない考え方でしょう。このような、起業を「うまく」行うための知識・スキルは、大学で学んでおいた方がよいと言えます。
東経大の経営学部では、1年次では市場予測に基づいて戦略的にビジネスを計画していくオーソドックスな方法も学びますが、2年次以降は今回ご紹介したような、オーソドックスな方法の真逆を行くような最先端の方法も学びます(授業だけでなく、例えば私のゼミでは、ゼミ生の希望があればこのような理論を学ぶことができます)。これらの両極端の理論を含む様々な理論を学ぶことの意義は、それらを「手中の鳥」としながら、起業したい皆さんが自分で理論を組み合わせ、自分なりのビジネスのつくり方を確立していけるようになる、ということです。
東経大の経営学部では、起業を「うまく」行うための知識・スキルを獲得できるようサポートするカリキュラムとして、2025年度から、アントレプレナーシップ養成プログラムが開講します。是非これを活用し、社会をよりよくするビジネスを作っていっていただければと思います。
(東京経済大学経営学部准教授 山口みどり)